오키나와 평화시민사회단체 4·27DMZ民+평화손잡기 범국민운동 참여

위정량 시민통신원l승인2019.05.14l수정2019.05.21 22:30

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▲ 지난 달 25일 오키나와 주일미군기지 폐쇄 철거 및 미군기지 확장건설 저지투쟁을 5400여 일 넘도록 진행 중인 오키나와 시민사회 성원들이 평택시청 앞 농민회 통일트랙터 출정식 기자회견 참가 장면

다음은 오키나와 주일미군기지 곳곳에서 미군기지 폐쇄 및 철거와 미군기지 확장 저지투쟁을 5400여 일 넘도록 진행 중인 오키나와 평화시민사회단체 성원들 중 35명과 함께 철원 노동당사 앞에서 펼친 4·27DMZ民+평화손잡기 범국민운동에 참여한 오키모토 후키코 씨(관련 기사http://m.hanion.co.kr/news/articleView.html?idxno=9270 "평화를 만드는 정치가 진짜 정치, 평화를 만드는 종교가 진짜 종교") 기고문이다.

▲ 지난 달 25일 오키나와 주일미군기지 폐쇄 철거 및 미군기지 확장건설 저지투쟁을 5400여 일 넘도록 진행 중인 오키나와 시민사회 성원들이 평택시 주한미군기지 앞 연대 시위 장면

오키나와팀은 지난 4월 25일 입국해 평택시 대추리 평화마을 기념관 방문, 평택시 농민회 통일트랙터 출정식 기자회견 참가, 평택시 주한미군기지 앞 연대 시위, 26일 철원군 포훈련장 방문 및 포훈련장대책위와 철원군 의회 의원을 만나 훈련장 상황에 관해 설명을 듣고, 27일 4·27DMZ民+평화손잡기 범국민운동 행사 참가 후 귀국했다.

▲ 지난 달 26일 오키나와 주일미군기지 폐쇄 철거 및 미군기지 확장건설 저지투쟁을 5400여 일 넘도록 진행 중인 오키나와 시민사회 성원들이 철원군 포훈련장 방문 및 포훈련장대책위와 철원군 의회 의원과 우호 선린관계 약속 장면

기고자의 의도를 최대한 반영하고자 원문 그대로 게재한다.


朝鮮半島の平和を願う沖縄訪問団、DMZで人間の鎖に参加

はじめに

今年1月、韓国「平和オモニ会」の皆さんが沖縄を訪れ、普天間基地、嘉手納基地、辺野古新基地建設現場、安和(あわ)埠頭の辺野古埋立て土砂搬入現場などをまわった。オモニ会は沖縄と連帯の意思を表明し、「武器は去れ」「戦争はいらない」と叫び、平和の踊りを踊った。と同時に「板門店1周年・4.27人間の鎖」への参加を呼びかけた。東西500㎞にわたる分断線に沿って50万人が手をつなぐ、ここに沖縄からも参加するというのだ。このとてつもない構想に度肝を抜かれながらも、心躍らずにはいられなかった。「よし、沖縄からも行こうじゃないか」。平和オモニ会が呼びかけるや否や、すばやい反応が返ってきた。瞬く間に31名が集まり、その後もなお続く参加希望者は断らなければならないほどだった。これほど沖縄にとっては朝鮮半島の平和は自分のことのように身近であり、切実なことであることを改めて実感した。

朝鮮半島の平和、アジアの平和を主導するのはアジアの人々の連帯だ

東西ドイツ、南北ベトナムが統一されたにもかかわらず、朝鮮半島の分断はいまだに解決を見ていない。民族の分断、肉親の分断、強制された分断は南北の軍事的緊張を創り出しているばかりか、アジアの平和をも脅かしている。沖縄への米軍基地の集中(国土面積がわずか0.6%の沖縄に在日米軍専用施設の70%が集中)は朝鮮半島の有事に備えたものだという口実になり、日本は北朝鮮と中国有事を口実にひたすら軍備増強の道を走り続けている。朝鮮半島の平和はアジアの平和に直結している。
従って昨年の南北首脳会談と米北首脳会談は私たちに希望を与えてくれるものだった。朝鮮戦争の終結と平和協定への道が拓かれ、もはや後戻りすることはないと確信した時のあの安堵感は今も忘れない。「DMZ民+平和の手つなぎ」の宣言には、「首脳会談で合意された平和への道を確実なものにしていくのは民の力だ」とあった。そうだ、アジアの平和を主導するのはアジアの民だ! 38度線に行こう。私たちはそうして4月25日、沖縄から韓国へ旅立った。

辺野古新基地建設反対闘争現場に立つ市民一人一人が自分の意思で参加

今回の沖縄からの韓国訪問団は決して特定の団体ではない。辺野古の新基地建設をやめさせるためにそれぞれの立場からそれぞれのスタイルで戦っている人たちだ。金曜日になると嘉手納基地と防衛局に行って抗議を続けている人たちや、辺野古の海上で、海保(韓国語では해경)の暴力にひるまず体を張って埋め立てを止めようと闘っているカヌーの人や抗議船船長もいる。工事用資材を積んだトラックの進入を阻止するためにゲート前で座り込んでいる人たちも大勢参加した。高江(たかえ)のヘリパット工事に対峙する人、沖縄の闘いを世界に知らせるため広報活動に力を注いでいる人たちもいる。こうして各自闘争スタイルは違っても、韓国と連帯しアジアからアメリカを追い出そうという強い思いはみな同じだ。

朝鮮半島の分断は日本の責任だ

と同時に、実は私たちは、朝鮮半島の分断が日本の責任でもあることに心を痛めている。第2次世界大戦の末期、すでに日本の敗戦がはっきりしていたにも関わらず、天皇は国体護持のために、もう少し米軍に打撃を与え有利な状況を作ろうと降伏を先延ばしにした。そのために日本で唯一住民を巻き込んだ米軍との地上戦が沖縄ではじまることになった。沖縄は天皇の国体護持のため捨て石(버림돌)となったのである。日本軍、アメリカ軍を含め全体で約20万人が犠牲となり、うち半分以上が沖縄県民だった。県民の4人に1人が死ななければならなった。
また沖縄戦には性奴隷として朝鮮人女性が連行され(114か所の慰安所が確認されている)、地上戦が始まると彼女たちは戦場に捨てられ、誰に看取られることなく無念の死を遂げた。また軍人・軍属として数千人規模の朝鮮の若者たちが沖縄戦に動員された。軍隊の中では三等国民と蔑まれ奴隷のように扱われた挙句、最後は戦場で犠牲になった。いまだにその数は確定しておらず死亡者の調査もされていない。
あの時(1945年2月)近衛文麿(このえふみまろ)元総理大臣の上奏に従って天皇が降伏を決断していれば沖縄で死ななくてもよかった20万人の命が助かった。長崎・広島の原爆も防げた。そして何よりもソ連の参戦はなかった。ソ連の参戦を許し南北分断につながったのは、まさに天皇が民の命よりも自身の国体護持を優先したことに起因する。結果、天皇制は維持され、朝鮮半島は分断された。沖縄は日本から切り離され米軍の統治下におかれた。1972年、沖縄は日本に復帰したが米軍基地は依然として残り、県民の命と安全に暮らす権利は日米地位協定によって奪われたままである。

顔の見える連帯から

沖縄は琉球王朝時代、薩摩藩の侵攻を受け、明治時代になると日本に併合されたが、それは一貫して主権を奪われ、差別され続けた歴史でもある。実際、今年2月に実施された県民投票で、72%が辺野古新基地建設に反対しても、日本政府は沖縄の「民意」を無視し工事を強行している。県民の意思よりも、推定2兆5,000億円の血税でアメリカに新基地を提供するのが最優先だというのだ。
しかしこうした沖縄県民であっても日本国民であることから私たちは逃れられない。植民地時代に犯した罪にいまだ向き合おうとしていない日本政府を許しているのは紛れもなく私たち日本人である。朝鮮の人々から許しを受け真の友好関係を築ける日まで、私たち日本人は一人一人この問題に向き合い続けなければならない。
実際、参加者の中から、「これまで韓国に行きたくても観光では行くことができなかった」、「日本人として果たして受け入れてもらえるだろうか」、「どんな会話ができるのか」、といった苦悩が吐露された。今回の訪問はこうした複雑な気持ちを秘めながらの訪問であったことも確かである。私たちはとにかく顔の見える形で韓国の人たちと直接つながろう、そこからしか相互理解は始まらない、それが今回の訪問の目的ともなった。

沖縄と重なる平澤米軍基地

 沖縄と平澤の関係(인연)は深い。1995年当時にさかのぼる。ちょうどそのころ沖縄は多くの地主が軍用地契約を拒否し緊迫した状況にあった。軍用基地提供を拒む地主に代って代理署名することを迫られた大田昌秀沖縄県知事は、最後まで署名を拒否した(1995年)。そのため日本政府は、県や土地収用委員会の権利を無力化し、どんなに拒否をしても最後は日本政府が強権的に軍用地をアメリカに提供できるよう「駐留軍用地特別措置法改正法」を打ち出してきた。ちょうどこうした時期、同じように基地問題に苦しめられている韓国から沖縄に連帯しようと、人権・平和・教育・環境など各界の一団が沖縄を訪れた。以後急速に運動レベルで大衆的な連帯が進み、平澤との交流もこうして始まった。
おりしも韓国では金大中大統領が誕生し、米軍犯罪根絶運動が始まった頃である。お互いの経験を共有し、問題解決の道を見つけるため様々なシンポジウムが相互に開かれながら、毎年行われる沖縄の5.15平和行進への参加が恒例化していった。また平澤の米軍基地拡張強制執行や、済州カンジョンでの海軍基地建設強行等、直接権力と衝突する現場に沖縄からも参加するようになった。
SACO合意による米軍再編と称して辺野古新基地が強行されている沖縄にとっては、同じように米軍再編と称して村ごと強制収容され拡張された平澤はひとごとではなかった。今回は平澤にも是非回ろう、みなの一致した思いだった。
私たち一行は仁川から平澤に直行した。到着した先は、「テチュ里平和村」。最後まで土地収用に抵抗したテチュ里の住民44世帯が移り住んでいるところである。婦人会の人たちが食事を準備して私たちの到着を今かと待っていてくださった。受け入れてくださったのは平澤平和センターの皆さんである。村にあるファンセウル記念館にはテチュ里の闘いが一目でわかる展示室があり、2階には宿泊施設も備わっている。ここで食事がすんだあと地元の皆さんとの交流を楽しんだ。沖縄からは三線の演奏に合わせて「安里屋(あさとや)ユンタ」、韓国からはアリラン。振り付けを習いながら一緒に歌い踊った。辺野古の皆さんに書いていただいた激励の寄せ書きもお渡しした。
テチュ里の人々は植民地時代日本軍から追い出され、戦後は米軍が入り込み、そして今また拡張のため追い出された。沖縄とあまりにも同じ歴史ではないか。田畑を奪われ追われた村の人たちは、僅かの補償金を握らされ、チリジリバラバラになってしまった。こうしてテチュ里の地名は地図からも完全に消えてしまったが、最後まで戦い抜いた誇り高い住民たちの手によって、「テチュリ平和村」としてその歴史と共に名前が立派に残されたことに敬意を表したい。村にはいつでも集まり触れ合えるマウル会館や、歴史館がある。静けさの中に凛としたテチュ里の抵抗の精神が感じられ、私たちは小道を一歩一歩踏みしめるように散策を楽しんだ。道路わきには春を満喫する花々がきれいに咲き誇っていた。

平澤ハンフリー基地視察、統一トラクター運動に連帯

 翌日は拡張された平澤ハンフリー基地の現地視察。ソウル・ヨンサン地区からすでに駐韓米軍司令部、国連軍司令部が移転を完了し、駐韓米陸軍の一大拠点として機能している。基地に向かって写真を撮るとすぐさま制止される。平澤平和センターの人たちは、強制執行後もひるむことなく米軍基地被害と戦い続けている。その結果レーダー奇襲設置を撤回させることに成功したことは特筆に値する。しかし騒音と振動被害は依然として改善されず、境界壁の浸水や基地からの排水放流の問題も未解決だ。今また新たな問題として生物化学兵器実験場設置が浮上し、毎日監視活動を続けている。今年元旦からメインゲート前で24時間交代の1人デモを続けている団体もいる。この日の一人デモは、前日の交流会で出会った21歳の好青年である。韓国はどこでも若い人たちが活躍していてうらやましい。交差点のすぐ真向かいでは太極旗部隊がテントまで構えて、「Thank You US・Army」だとか中国、北朝鮮を口汚く攻撃する旗や看板を物々しく掲げている。右派の動きの激しさは以前見ることの無かった風景だ。世界的な極右の台頭が韓国でも始まっているのだろうか?
 次に向かったのは平澤市庁舎前。「統一トラクターを送る平澤運動本部」の記者会見に、急きょ私たちも応援団として立ち会うことになった。4.27首脳会談1周年に合わせて農民団体を中心に民主労総等約20団体が北に農業用トラクターを送ろうと運動を展開している。私たちが到着した時はちょうど、真っ赤な統一トラクターを横において声明文を高らかに読み上げているところだった。辺野古ブルーのジャケットに身を包んだ私たち一団が駆け付けると、皆さん驚かれた様子だったが、挨拶までさせていただき、記念写真にも納まった。統一トラクタ―の全国目標は100台、その100台が列をなして38度線を越えて行く姿を想像しただけでも胸がわくわくする。しかし農業用のトラクターさえもアメリカ主導の経済制裁によって送ることができない。当事者である南北の首脳が、そして民が南北の融和と発展をのぞみ、動きだしているというのに、妨害しているのは部外者のアメリカだ。

鉄原砲訓練場被害対策委員会の皆さんと再会、鉄原DMZ地帯を行く

 沖縄チームの人間の鎖の現場は鉄原の労働党舎前ということになっていた。南北に分断された江原道の西の端、38度線のちょうど中間にあたる。朝鮮戦争時は鉄の三角地帯といわれた激戦地であり、休戦協定によって鉄原も南北に分断されてしまった。
 実は2年前、鉄原郡から議員や砲訓練場被害対策委員会、軍事施設被害調査研究家など40名程が沖縄に来たことがある。その時金武町や普天間基地の被害実態とその対策を共有すべく沖縄の市民団体と交流した。今回、砲訓練場被害対策委員会委員長ソ・クムソク(서금석)さんや郡議会議員の皆さんが駆け付けてくださり、一緒にDMZ地帯を回ったり、人間の鎖で手をつないだ。これまで国防優先といわれ何も言えない状況だったが、騒音被害や人命被害、民家付近への砲弾落下、山火事、環境汚染のひどさに、立ち上がるしかなかった。今はこうして自由にものが言える時代になったと話された。まるで沖縄の被害状況を聞いているかのようだ。基地があるゆえの住民の被害と苦痛は世界共通、どこも全く同じであるとつくづく思う。
 私たちは、目の前に広がる北朝鮮の山々を見ながらバスでDMZ地帯を回った。地雷と書かれた看板が取り付けられた金網の横を通り、監視兵が立っている監視所をすり抜ける。板門店宣言以降、巨大拡声器は外され、監視所が試験的に11カ所撤収されたそうだがまだまだ物々しい。DMZに隣接した民間人統制区域には畑と田んぼだけが広がり人の住む家はまったく見えない。自分の田畑に入るにも許可がいる。北から掘られた第2トンネルも1973年ごろ地下爆破工事の音で発見されたというから、近年になってからのことだ。平和展望台からは、手前に南側DMZ境界線がはっきりと見え、そこからそれほど離れていない向こう側の山々の中腹を横に貫く道路がみえる。北側のDMZ境界線のようだ。山の頂上には北朝鮮の旗が掲げられた監視所も見える。南北のDMZ地帯がこれほどはっきりと一目で見渡せることに驚きの声も出てこない。よく見ると北側の山は草木がすべて伐採、採集され尽くし痛々しく色を失っていた。南北の境界を隔てて山の色がこうもはっきり違うことに胸が痛む。ガイドの説明がなければ、見渡す限りの野山と青空の大自然だ。しかし、人1人として入れないその静寂さを保つ大自然はやはり不気味であり不自然だ。鉄原は有数の米の産地という。平和でのどかな農村地帯が一瞬にして北と南に隔てられ時間が止まってしまったこの38度線の不条理。これらすべては人間がしでかしたことだから、人間がその気になればきっと正すことができる。必ずそうしなければと祈りにも似た気持ちになる。

板門店宣言1周年、4.27DMZ人間の鎖に沖縄辺野古ブルー登場

そしていよいよ人間の鎖の現場へ。早めに会場に到着したがすでに人でいっぱいだ。大急ぎ海苔巻きと餃子の昼食を済ませた。鉄原郡の皆さんから熟れたトマトやマッコリの差し入れがあり、いやがうえにも気分は高潮していく。事前に労働党舎前に舞台を設けるので沖縄からも出てほしいと言われており、この日のために私たちは準備をしてきたイマジンを踊った。平和オモニ会が沖縄で披露し、それを私たちは受け継いだ。辺野古ブルーのジャケットにブルーの旗を持ち舞台は青一色に染まった。持ち上げた旗の先には青空が広がっていた。クムソクさんや議員さんまでも一緒に舞台に上がって踊ってくださった。会場に散らばっていた人たちが一斉に舞台に近寄ってきた。続いて沖縄から持ち込んだ三線の演奏に合わせて安里屋ユンタを踊る。琉球音階が労働党舎の前で響き渡った。最後は定番の「座り込め」(辺野古闘争で歌われている歌)。肩をくみ、思い切り大きな声で歌った。決してあきらめない沖縄の団結と不屈の精神を広場に集まった人たちに十分伝えられたと思う。感無量、圧巻だったと思う。歌をリードした泰(やす)さんは韓国の人たちから握手攻めにあっていた。
そしていよいよクライマックス。14:27に合わせて横一列を作る。辺野古に集まる皆さんにたくさんの手形を押してもらってまるで大浦湾(오우라만)の珊瑚のように出来上がった10メートルのブルーの布が手違いで披露できなかったことが、かえすがえす残念でならない。辺野古の皆の気持ちを一緒に持ち込む予定だったのに。
私たちは平和オモニ会の隣に並んだ。各地からどんどん人が増え続け、列を先へ先へと伸ばして行く。みな思い思いの旗や横幕を持ち、首にはおそろいのスカーフを結んでいる一団もいる。家族連れや中・高校生の集団、若者の集団などぞろぞろと目の前を通り過ぎていく。沖縄の私たちを見つけると「オキナワ」、「オキナワ」と声を掛け、私たちも「アンニョン」、「アンニョン」と返す。お互い握手をかわし、笑顔のハイタッチが続く。列はどこまで続いているのか先がまるで見えない。目の前はDMZの境界線、列は金網に添って続いていく。監視所には人がいる。北が侵入したときに爆破して進入を止める迷彩色の四角い箱型が道の両脇に並んで設置されているが、カメラマンがその上にのぼって写真を撮っている。
そうしていよいよその瞬間がやって来た。しかしどんな指示もマイクから流れない。時計を見て皆が一斉にわぁーと声を出しはじめた。自然にウエーブが始まり、押しては返す波のように人間の鎖が長く長く揺れていった。興奮はいつまでもつづいた。

平たんではない朝鮮半島の平和協定への道のり。
アメリカよ、アジアから出ていけ、
アジアの未来はアジアの人々が決める

こうして私たちは4.27平和の鎖に参加し、無事沖縄に戻ってきた。参加してよかった。韓国の人たちと心が一つになったあの瞬間の喜びは生涯忘れられない。
しかし客観的状況は決して簡単ではない。終戦宣言まで一気に進むのではないかと期待された北米(美)ハノイ会談は、アメリカの一方的で高圧的な要求の前に足踏みを余儀なくされた。それに従う形で南北間で進み始めた融和の動きも速度を落とした。
決着がつかずに五分五分で終わった休戦協定であれば、お互い五分五分の譲歩と信頼で終戦が成就されなければならないはずだがアメリカは一方的に北の全面降伏を求めた結果だ。
私は決して核保有を認めるものではないが、2018年のストックホルム国際平和研究所の報告書によれば、世界の核兵器総数約14,500基中、92%を米・ソの二国で占めている。アメリカ6,450基に対して北はわずか10~20基である。トランプは自国の核はただの一つも減らすことなく、北に対してのみ一方的に全廃を要求した。北がアメリカの非核化を要求しただろうか? にもかかわらず国連は当たり前のように北の非核化を要求する。日本に至っては唯一の核兵器被害国であり、福島原発事故を経験したというのに、アメリカの核を歓迎し、北に非核化を要求する。リベラルといわれる言論界でさえそうだ。
「日本の外相が朝鮮半島の‘終戦が宣言されたら米軍はいらないという話になる。それでは困る’と辺野古基地建設への影響を懸念した」(2019年2月28日琉球新報)。話にならないが、もはや朝鮮半島の平和は当事者の枠を超え大国、諸外国の思惑の対象となっていることを証明している。
従って今必要なことは諸外国の圧力、とりわけアメリカの圧力を跳ねかえし、当事国として民に責任を持つ南北の誠実な対話の継続である。人間の鎖で示そうとした民の側からの主導こそが、アメリカに屈しない強固な朝鮮半島の平和を作り上げることができる。今こそアジアの人々の連帯ですべての軍事基地をアジアから撤去させよう。核も基地もない平和な世界のために、手をつなごう。

▲ 지난 달 27일 오키나와 주일미군기지 폐쇄 철거 및 미군기지 확장건설 저지투쟁을 5400여 일 넘도록 진행 중인 오키나와 시민사회 성원들이 철원군 노동당 사적지 앞 4·27DMZ民+평화손잡기 범국민운동에 참여한 장면
▲ 지난 달 27일 오키나와 주일미군기지 폐쇄 철거 및 미군기지 확장건설 저지투쟁을 5400여 일 넘도록 진행 중인 오키나와 시민사회 성원들이 철원군 노동당 사적지 앞 4·27DMZ民+평화손잡기 범국민운동에 참여한 장면

 

편집 : 안지애 편집위원

위정량 시민통신원  eorjs0421@hanmail.net

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